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 第一章 「松の日記 その一」

 
九月九日 快晴
 母の葬儀より数日を経て今日、その遺書を読む。それに従いて鍵を得、土蔵片隅の箪笥を開きて一家伝来の文書(もんじょ)並びに品々を発見す。数刻に渡り耽読。吾が年来の悩みの故を知る。葬儀の折、汝には兄弟姉妹なかれば婿取る定めにあると知れ、と分家の大伯父がくどくど説きて去りぬが、今にして思えばこの家伝有りを聞き知ってのことか。
 腹への思い止み難く、ついにその道を知る。松に妹はおらず腹仕れば家は絶えると知りつつも、今にして思い止まる術なし。奔る身体の恨めしく、また頼もしきかな。
 
九月一二日 曇天
 起床後すぐに土蔵に入りて、鞘に松と吾が名を記す。交合の儀式は未だなれど、逸る心は抑え難し。十月十日は心定めるには充分なれど、却って想いの醒めるを案ず。日々の手習い、励めて行わんと心に定める。
 昼より奥の座敷にて腹を手習う。我を忘れ昂ぶり数刻に及ぶ。夕陽を眺めつ庭先にて行水。明日刀を研ぎに出さねばと思う。
 
九月一三日 快晴のち夕立
 朝、汽車にて**へと出、懇意の店に刀を託す。鞘を見せるは躊躇われ、抜き身を布に包みて持参す。母の形見と言い訳け、来月を約して辞す。街にて木綿三反購いて汽車に揺られて戻る。
 月の障り到るは十日後なれば、明日を儀式の日にせんと決し、昼より土蔵の二階に儀式の座を設う。心棒のあまりに長く、中途にて吾が脚の萎えるを恐れ、先端五寸程残るように座布団にて鞍を作る。鼈甲の張り子を布にて拭う。頭の艶に先人の想いを見る。
 文書にある精の壺を改む。中に七粒丸薬残りおる。吾が後に六人の女続くか。一粒取り出し頭の窪みに押し入れる。
 
九月一四日 快晴
 早朝沐浴。神社に参りて拝みし後ご神体を座敷に移す。上座に据える。面して座る形となす。その後ひたすら儀式を想い、心と身体共に駆り立てつつ昼を過ごす。夕刻に到りて再度沐浴し体毛を落とし、香を焚きしめておきし白装束をまとう。先人の記録を読みつつ刻限を待つ。
 夜十時座敷に入りてご神体に礼拝し決意を述べ、裸身となりて器具の背後に座す。姫処既に夜露を含み、嬉々として器具に跨る。昂揚のあまり破瓜の痛み感じず。無心にて腰を振り上下させつつ深夜を迎う。胸を揉み腹を慰撫して腹の姿をとり、程なく達して果てる。
 暫し自失の後、ハンケチを添えつつ張り子を抜き、固く下帯を締め込む。張り子の丸薬跡形もなし。夜露と血に温められし鼈甲、飴の如くに手触り優し。
 再度礼拝の後寝所に引き取り仰臥して朝を迎え、日記を認めたのち就寝。
 
九月一五日 曇り
 昼過ぎに目覚む。下帯赤く汚れおり。内腿の筋の痛み甚だし。湯浴みて後ご神体を神社に戻し器具を箪笥に仕舞う。発熱あり早々に休む。
 
九月二十日 雨
 万一胎内に子あるを慮りて手習いから数日離れおりしが、腹への期待増長し抑え難き。終日座敷にて座禅組み、心鎮めんと瞑想に励む。儀式の日より十月十日は来年六月末なりて、家伝を理由とするならばそれまで待たねばならぬことは必定。夜、腹切る吾が姿を夢見て激しく欲情し、輾転反側一睡もせず。
 
九月二四日 快晴
 女の徴を見る。吾が末晴れて割腹と決す。神社と墓所へ参りその旨報告、神助を乞う。午後姿見を二階より降ろし、座敷にて腹を手習う。木刀を用いて型を確かむ。途中昂ぶりて思わず下帯姿となり、鏡と相対して十文字を腹に描き激しく果てる。その際、腹の肉付き以前より厚きを見、腹割く力足らぬを恐れ、散歩を日課とせんと誓う。
 
十月一日 快晴後驟雨
 障りも去り、朝餉を済ませて後、近隣を歩きてイクササイスとする。常に視界に薄く吾が腹切る様が浮かびおり、昂揚に背筋寒くしつつ茫然と歩む。身体浅ましいほどに昂ぶりて、足を運べば内腿に湿りを感ず。明日より下帯を締めて行わんと思う。隣家の人に挨拶する際吾が顔恐らく歪みおり。早々に戻りて庭にて水を浴ぶ。
 昼より、先人の遺せし文書を再び耽読す。本願を遂げ逝きぬ吾が祖先の健気さ、今更ながら吾が腹に重し。夕刻に到り座敷にて手習い。途中、腰下に敷きおりし手習い用の三宝、ついに壊る。腹は膝つきし腿大きく広げ、尻の下に踵立てたる姿にて切るが作法にて、その姿勢とるは短く三宝でも充分とは思えども、手習いにあたりてはその姿勢数刻に及ぶことも屡々にて、別途小さき腰掛けを誂えるべきと思う。
 夜、吾が切腹の晴れ姿写真にて遺さんと思いつけども写真術の心得なく、機材も甚だ高価なり。数刻思案の末、吾が家は松にて断たるに写真遺せど見る人なしと悟り失笑す。
 
十月四日 曇り後雨
 街に出刀屋を訪ねる。与三左衛門尉祐定の注文打ち、長刀直の体裁は当時としても珍しいと京の目利きに見せるよう勧められしが、値を付けられるようなことは先祖の魂を汚すようで耐え難し。新たに手入れ道具を購ったのみで辞去す。次いで建具屋に寄り、昨日思いつきし腰掛けを頼む。檜を幅高さ各五寸奥行き七寸余りに切らせ角を落として磨かすが、用途を問われて咄嗟には答えられず。ようよう花瓶台と返すも職人首をひねりおり、大層赤面す。半刻程で仕上がり、風呂敷に包みて帰る。
 昼より終日刃を眺めて想像を逞しうす。禍々しき形や刃紋、いかにも切れ味良きように見ゆ。昔の鞘に収む。夜よりは抜き身の祐定三宝に据え、先祖の腹割きし刀を見据えつつ腹を手習う。白木の台を腰下に差して反り身となり、腹現して祐定と対峙しのみで激しく果てる。刀見据えて腹撫でさする時、腹への衝動吾が身の内に止め処なく高まるを感ず。正に至福の時なり。明け方まで飽きずに手習う。さすがに疲労困憊す。
 
十月十日 晴
 吾が心と身体既に腹の準備を終えおり、徒に手習いを繰り返すも躊躇われ、先人の日記読み返しおればまた心身共に昂揚し、座敷に籠もりて執拗に手習う。
 
十月十四日 晴
 朝隣家の妻訪れて曰く、早朝、在所にて軍属の某が腹切り伏しておるを家人に見出さると。病を苦にしての割腹と言う。そは吾が神社の氏子にて、本来なれば亡き父の代理として頼みおる神職が出向き祓うところ、急のこととて巫女たる吾に急ぎ来たれて祓えとの依頼。装束をまといてその妻と二人で赴く。
 野次馬家を取り巻いておるも、未だ官憲も到着せぬ様子、家人に自決の部屋に案内さる。六畳の寝所手前側、床の間に向かいて延べられた布団の上にて某が伏しおり。室内の血腥さに思わず息を止む。某は白肌襦袢の両肌を脱ぎ、軍刀にて腹切りし様子にて、血飛沫鮮やかに掛け軸にまで届きおるが、伏した為傷口見えず。布団の上は正に血の海。間もなく警官並びに医師慌ただしく駆けつけ、数人がかりで某を仰向け傷改むるが、十文字に弾けた切り口からは臓腑夥しく溢れおり、トドメの跡無く、医者曰く切腹のみで果てたは見事なりと。家人後始末を許され、一刻ほど後、座敷に敷いた布団に移された某を祓う。当年二十七、労咳を病みて療養中のところ恢復の望みなしと思い悩み、その旨遺書に残しての自刃と聞く。色白く清げな若者なり。
 実際の切腹を見、無惨な骸に接したは今日が初めなり。吾が腹切りし後もかような様を呈し、近在の人の手を患わせ、見せ物となるかと思えばやはり心乱れ、夜半まで酒呷るも身の戦慄き止まず。
 
十一月二日 曇
 腹切ることの正しきか否かを思い悩みて数週。酒食ほとんど喉を通らず、病人の如く終日寝所に身を横たえておりしが、今朝方久しぶりに腹の夢を見る。切腹を実見せし故か、己の腹より飛び散る血潮や溢れる臓腑の臭い鼻を衝き、切り口の弾け厚き脂身を見す腹も以前に増して無惨に映れども、夢うつつの内に激しく達して覚醒す。
 ここに到り、腹を諦め衰え死すより、初一念通り腹切る他に吾に途なし、と今更ながら悟る。腹に生き、腹に果てるが吾が定めなり。後を顧みることなど吾にはかなわず。
 久しぶりに入浴し、市場にて材料を求めて大いに食す。