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第一四章 「妹の手記 その五」  

 
 
 年が明けて、学校が始まる前の日まで、姉と二人だけで過ごしました。雪こそ降りませんでしたけれど、ぐずついた天候が続き、年の暮れに姉の車に乗せてもらって街に出ておせちの材料を買ったり、二日の日にあの神社の跡に詣でたりした以外は、二人でおこたに入ってテレビを観たり、おしゃべりをして久しぶりの団欒を楽しむことになりました。父からはその後、姉のところに数回電話があったようですけれど、今はこちらから連絡が取れない状態らしくて、初詣の時には、父の事業がまたうまく行きますように、とお祈りしたことでした。

 わたしが東京に戻っている間に、働き者の姉が毎日お掃除をしていたのでしょう、家の中は、あいかわらず古びた感じは否めないものの、畳は張り替えられ、柱や床板はちゃんと磨き上げられていました。奥の座敷には、きっと土蔵の中から運び出したのでしょう、大きな神棚まで設えられていて、真新しい御幣も飾ってありました。確か、わたしが通っている学校には神職のコースがあり、神社の子弟の学生も多かったのです。姉はきっと、そのようなクラスを受講したのかも知れません。夏休みには、全国の神社から学外のそういった人たちも集まって、泊まり込みで研修が開かれていたりしました。

 二人の話は、尽きることがありませんでした。わたしは東京での暮らしを事細かに姉に報告し、姉は、オークションでの反応や、田舎での暮らしをわたしに話してくれました。こちらでの暮らしで姉が感じることは、「やっぱり、人の数がすくなくて、活気がないんだなあ」、ということにつきるそうです。母の実家の近辺は、歩いて数分のバス停の近くに農業を営んでいるお家が数件あるきり。一時間に一本のバスで25分くらいかかる最寄り駅の周りには、ちょっとしたスーパーや小売りのお店、飲食店があるのですが、人口数万程度の地方都市のこと、老齢化と過疎が進んで、若い人の姿が少なくて、「なんか、困っちゃうんだよね」と言うことでした。東京に家族で暮らしていた頃は、新宿まで電車で15分、渋谷までも20分という立地でしたから、姉の言うことはよくわかります。

 オークションへの出品は、順調に落札されているようでした。姉もあれから勉強したらしく、ネットでのオークションに出すよりも、ちゃんとした和骨董のお店に見せた方が高く売れるかも知れないものが数点あるのよ、という話でした。わたしが冗談半分に、「テレビでやってるなんとか鑑定団とかに応募したら?」と言うと、意外にも姉は乗り気で、わたしが上京するのに姉も同行して色々と調べてみよう、と言うことになりました。

 夜になると、一階の外れの客間にお布団を並べて、姉と休みました。新しい畳の匂いが心地よかったのですけれど、築何十年にもなる旧家のことですから、どこかかすかに黴臭い感じがするようでした。それに、ここで何代も暮らしてきた母方の血筋の人たちの気配がうっすらと漂っているような気もして、少しの間、寝付けなかったことでした。