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第一七章 「姉の手記 その六」

一一月一七日

 先月の手習いで切っ先を突っ込んでしまったお臍も、もうすっかり治ったみたい。跡もほとんど、目立たなくなった。でも時々、お腹が冷えたりしたとき、引きつるような痛みがお臍からあそこまで響くことがあって、お小水を我慢しているみたいに苦しかったりする。暖かくして横になっていると、一時間くらいで楽になるんだけど、少し心配。

 松さんの日記、あれからちょっとだけ読み進んでみた。村の人たちの想いをお腹に集めて、昂っている松さんがうらやましいな……。やっぱり、わたしみたいに独りだけだと、お腹をし遂げることは難しいのよね、きっと……。でも松さんは、新聞で取り上げられて、東京まで連れてこられて、天皇に拝謁させられて、自分の意志とは関係なく、生き神様みたいに祭り上げられてしまう。彼女の書き込みだけでなくて、当時の新聞の切り抜きがたくさん貼ってあって、もうボロボロに朽ちていて良く読めないけど、東京都か京都の神社、最後には出雲大社にまで連れて行かれて、見せ物みたいになっていた、って。

 松さんも書いているけど、当時は戦果も華々しくなくって、戦意を維持するために時の政権に利用された、というのが真相だったみたい。政府の偉い人が思いついて、新聞とかのメディアもそれに協力したみたいなんだけど、松さんにとってはやっぱり悲しいことだったみたい。自分はお腹することだけに憑かれているんであって、そんな立派な人じゃないし、政治に利用されるのは苦痛なだけだ、って。

 一ヶ月くらい大騒ぎになっていた後、やっと田舎に帰してもらえるんだけど、帰ってみたら、神社は県の予算で立派なのに建て替えられていて、最高位の巫女の位を天皇から授けられたことから、神官や巫女とかが十数人身の回りに侍ることになってしまっていて、それもとっても嫌だったって。毎日何百人も参詣に来るし、一日に何度も、姿を見せなくてはならないし。側近の神官達は、黙って座っているだけだと見栄えがしないから、神懸かりになった振りをしろとか勝手なこと、言うし。

 だから、お腹の手習いどころじゃなかったみたいなんだけど、でも、何百人もの人たちの前に座っているだけで、不思議にお腹が充実してくる、って書いてある。大晦日の日にお腹の中に感じた「胎児」(?)も、なんだか段々育って来ているみたいに感じる、って。

 そして時々、大晦日の時みたいになって(それって、何もしなくても逝っちゃうってことか)、光を出してしまうって……。でも、淫らな感情とかは一切ないって……。

 わたしには、まだまだわからないことだらけだ。

 わたし自身は、お臍の傷のこともあったから、あれから手習いはしてない。そう言えば、あんなに憑かれたように一日中手習いしていたというのに、この頃は不思議とそういう気分にならない。なんだか、浄化されちゃったというか、リセットがかかった、みたいな感じ。ちょっと変かも……。

 

一月五日

 年末から昨日まで、麗ちゃんが帰省していた。大学生活は楽しそう。わたしも、お腹への執着が薄れてから(って、何だかちょっと残念かも)、東京の暮らしが懐かしくって。でも、今上京したら、麗ちゃんと一緒に暮らすことになるでしょう、それもなんだか億劫で(変な姉でごめんね)、今朝も黙って妹を駅まで送っていった。

 かねてからの計画では、そろそろこの身体に家伝の儀式を執り行い、それで懐胎することがなかったら(するわけないけど)、十月十日後にこの腹を切る……はずだったんだけど。松さんの日記を読み進めてしまったせいか、「どうせ、このままではし遂げられない」なんて気がしていて、なんだかちょっと空しい感じ。こんな調子だったら、しばらくはお預けなのかなあ。

 最後の手習いからずっと、お腹にあんまり関心が向かなかったから、炬燵の中で、ネット書店で買った骨董とか、古美術の本を読んでいた。家の土蔵のお皿とか書画、やっぱりちょっと貴重なものみたい。本物だったらね。もうちょっと、高く売ったら良かったかな。

 

二月一七日

 先月、麗ちゃんにそそのかされたこともあって、テレビの鑑定番組にダメもとで出していた応募、今日返事が来た。さ来週、東京のスタジオに来いって書いてある。鑑定のいかがわしい(笑)先生方のご高説を拝聴するのにはあんまり興味はないけれど、すっごい値段が付いたら、オークションでもっと評判になるかもね。

 何を着て行こうかな(笑)。東京に住んでいた頃の服、みんなちょっと流行遅れの感じになってるし。コスプレ感覚で、巫女装束でも着て出てやろうか(あはは……)。うん、それがいいかも。神社の血を引く女の子が、実家の蔵から出てきたお宝をもって……なんて、目立っちゃうかも知れないし。