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 この「昔のコンテンツ」には、あの(物議を醸した)文章が入っています。『性的な行為としての切腹』、『切腹への道のり───準備しておかねばならないことなど』。でも、『お腹の切り方について』は、言わずもがななので今回はご紹介しません。

 1995年から始めた「rika's house of seppuku」は、最初の数年間、ほとんどアクセスもなくて(笑)、自分のメモ帳のようなものでした。だって、日本語の検索エンジンなんて、ほとんどなかったんですから。goo が出てやっと仕事にも使える感じになったのですが、googleが当たり前の人たちには信じられないことでしょう(歳……)。それ以前の、hotbot、altavista、northern light なんて、知らない方が多いんじゃないかな。トロントハイムにあったFTPサーチにもお世話になりました。ネットの夢の黄金期だったんですね……。ちなみにわたしがそんなに早くネットを使えたのは、自分がいた研究室がそっち関係だったからです(笑)。

 そのように静かに楽しんでいたのに、「ネットで割腹自決を予告する女性」なんて騒がれて、週刊誌からも興味本位の取材を受けるようになって、「そんな煩しいことは大嫌い」とHPをすべて消してしまったのが1999年9月のことです。でも、あの時は(半分だけ)本気だったんですけどネ(笑)。若かったんだなあ……。

 でも結局は、虚しい空想に終わってしまいます。それはきっと、自らに向けた「愛」の強さだけに頼った、純粋でナルシスティックな切腹はやはり絶対に不可能である、ということなのでしょう。やはり、個人的な意志を超えた「公の理由」と、「自己犠牲のヒロイズム」とが、本当の切腹には必要なのではないでしょうか……。

 切腹とは本来、人々の願いをその身体に受け止めて、その依り代(よりしろ)となり、その集団的な気を臍下丹田に集め、熱く燃え上がらせ、そして、そこを深く大きく切り開くことによって、その願いに豊饒(願いの成就)の象徴としての内臓を添えて、精神的/肉体的な爆発するようなエクスタシーの波に乗せて、人智を越えた存在へと届けることなのではないでしょうか───残念なことに、そのような「公の」状況を、今のわたしに作り出せるとは思えません。

 ですから、ここに書かれたことは、ただの夢物語です。本気にしないで下さい(笑)。影響され易い人は、閲覧禁止です。

 

『性的な行為としての切腹』

『切腹への道のり』