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 もし、切腹への衝動をもうこれ以上抑えきれないと感じてしまったとき───そのときから、真実の切腹が始まります。

 そして、一旦切腹を決意したならば、日常生活のすべての局面はきっと、切腹という目標へと収束して行くことでしょう。

 切腹───それはここでは、少なくとも臍下一文字に、あるいは、それに加えて、鳩尾から下腹へと十文字に腹壁を深く切り裂くことで腸を溢れさせ、それによって性的なエクスタシーを得る、という行為を 指しています。その結果として、おそらくは死を迎えることになるでしょうし、一命を取り留めることになってしまった場合にも、きっと色々な差し障りを受けることになることでしょう。

 平成の時代における切腹とは、そのように、すべての恐れや不安を敢えて克服し、決然と自らの性の欲望に殉じることに他ならないのですから、そのための準備は入念に行われなくてはなりません。

 ここでは、わたしの経験をもとにして、どのようにして切腹へと向けて、心と身体とが準備されて行くのかを記してみることにします。

一。切腹の日取りを定めること

 まず、半年から数年先に、切腹の日取りを設定します。あまり遠い将来のことだと、その日まで緊張感を維持することは困難ですし、逆にあまり日程に余裕がなければ、心を定めることは 難しいからです。

 極右の思想をお持ちの方ならば、終戦記念日や、昭和天皇のご命日などでも良いのでは、とも思いますが、そのようなものに捧げる切腹というものには、個人的には興味を抱くことがで きないでいます。また、夫や配偶者を亡くされた方ならば、その方のご命日や結婚記念日、というものも宜しいのでしょうけれども、残念ながらわたしには、そのような貴重な契機となる背景はありません。

 わたしの場合、切腹の日取りとして考えられるものには、自分の誕生日や元日があります。それは、日々年老いて行く人生を区切っている、数少ない節目であるからです。

 わたしに今考えられるのは、わたしが三十歳を迎えるまさにその日を期しての割腹というものです。幸か不幸か、それにはまだ数年という時間があるのですが、その日を逃してしまった ら、 もう当面、自分を納得させる機会がなくなってしまうと思っているからです。三十五歳、あるいは四十歳を期してのそれは、今のわたしには遥か彼方のことですし、そのころにはきっ と、 容姿も気力も、今よりは衰えてしまっているに違いありません。

 自らが三十代を迎えるその日の午前零時、まさにその瞬間、時報を合図として執り行う本当の切腹───これは、二十代という青春時代の終りを拒否し、自らの手で、美しいままの自らを散らすこと、 そして、切腹の美しさに自らの命と身体とをもって殉ずること、と信じているのです。

 このようにして、自らの切腹の日取りが定められたならば、その後はただ、切腹だけのために捧げられる日々となります。

二。切腹のための身体を作り上げること

 切腹を決意したその日から、常日頃に増して、身体を整えなければなりません。

 わたしは今でも、近くのトレーニング・センターに時折出かけ、体型の維持に気を使っています。そして、もし切腹を決意したならば、毎日通ってでも、これまで以上に美しいラインを作り上 げようとせずにはいられないでしょう。

 トレーニングはやはり楽しいものではないのですが、切腹を思って行うそれば、不思議と悦楽に満ちたものになります。そして、そのエクササイズの一つ一つが、切腹への意志を不思議と 強固なものにしてくれるのです。

 柔らかなお腹のお肉の下に隠された、日本刀の切っ先と対峙できる強さを秘めた腹直筋。下腹深く迎え入れた腹切り刀を一息に引き回すことのできるような腕の力と大胸筋。背骨にとどけとばかりに腹を切り裂かれた後でも、わたしに潔い姿勢を保たせてくれるであろう背筋力…….それだけではなく、 鳩尾から縦長の臍窩まで、上腹部の正中線にはくっきりと筋肉の溝 が走ってないなければなりませんし、ウェストもくっきりとくびれてなければいけない……等々、日頃 のトレーニングは、美しい切腹に欠かせないものであるのです。

 当然、体重の調整も重要です。筋肉質のお腹は、男の方でしたら望ましいものかも知れませんが、女の場合はやはり、適度に脂肪をたたえた、優しい表情のお腹であることが求められるように思います。

 また、毎日のお化粧も控え目にして、美しい素肌を保つことも大切だと思っています。顔だけではなく、日頃から乳房やお腹のお肌のお手入れを続ければ、切腹の時の身体は、一層美 しく輝くことでしょう。

三。腹切り刀について

  わたしは数年前、自分の命と引き替えの悦びを託せるような日本刀に出会うことができました。一尺一寸の長さの、寸延び短刀と呼ばれるものです。 新刀ですが、かなり名のある刀鍛冶の銘を持っているので、三年間もローンを払わなければなりませんでした。

 言うまでもなく、切腹で果てることを思い定めた人にとって重要なものは、どのような刀を使うか、ということです。やはり古式の切腹ですから、いくらそれが鋭利で あっても、柳刃やナイ フ、メスなどは興醒めなのではないでしょうか? 日頃の手習いの時ならば、お芝居の店で手にはいる模造刀で十分かもしれませんし、 柳刃もドキドキして素敵なのは確かです。少しだけでも実際にお腹を傷つけないと楽しめないような夜には、外科用のメスを使うこともあります。わたしも、 この愛刀に出会う前は、柳刃か、あるいはメスで何度も同じ傷口をなぞることで、本当の切腹とするつもりでした。でもやはり、本物はぜんぜん違いました。

 先祖代々伝わるものだから、と、太刀や脇差しを使われる方があってもよいと思いますが、男の人ならいざ知らず、それは女性には長く、重すぎるように思います。 都心の刀剣商に行け ば、大体50万円くらいで、何種類かの短刀や鎧通し、懐剣の中から選ぶことができるはずです。その刀に、自らの命とエクスタシーとを託すわけですから、どうかくれぐれも慎重にお選 びになることをお勧めします。

四。切腹の場所について

 切腹は、決して邪魔が入らないような場所で行わなければなりません。余裕のある方でしたら、お庭に天幕を張り巡らしたりして、まるで映画のような舞台を設えることもできるのでしょうけれども、 わたしの場合は、マンションの六畳の和室で……と考えています。

 縦横二メートル、高さ三十センチ程度の木製の台(展示台のようなもの)を作らせてありますから、その上に、薄いベッドパッドを敷いて(立て膝になったとき、膝が痛くないようにです)、 その上から白い布で巻きしめて、切腹の席とします。 その台の後縁には、倒れないように固定した屏風。部屋の三面には、白い布を垂らします。前方には、ブティック用の大きな鏡を組み立てた三面鏡を据えて、 これで大道具の準備はおしまいです。

 小道具などは、近所の仏壇店に行けば、(時期にもよりますが)三宝や神式の燭台、花生けは簡単に手に入ります。香炉や懐紙、袱紗などは、お好みで選ばれればよいと思います。わ たしの場合は、 腹切りの台の四隅に樒を立てて、膝前には香炉、八寸の三宝を二つ(介添えの方がいないので、ひとつには短刀を、もうひとつには酒杯など)を置きます。

五。切腹するときの衣装について

 切腹には、古式に則った服装で臨むべきではないか、と思っています。

 わたしの場合、結局は白絹の下帯だけになってしまうので、衣装なんかどうでもよいのかも知れないのですが、白い振り袖をまとい、お芝居のお店で手にいれた白絹でできた裃(本来ならば水浅葱なのでしょうけれども、わたしの趣味で)を着込み、白足袋を履き、純白の装いで切腹の席に着くときには、やはり身も心も知らずと 引き締まってしまうのです。

 これがもし、身繕いの時間さえとれない切腹であれば、着の身着のままで行うことになるのでしょうけれども、洋装は言うまでもなく、和服であっても、普段の服装での切腹には、ぜんぜん 心が動きません。

 本来でしたら、女性ですから、下帯など締めずに腰巻で切腹に臨むのが本当なのでしょうけれども、これはわたしの個人的な趣味にしかすぎません。直前には、全裸に近い姿になるであろうことは確かなので、最後の慎みのつもりなのです。

 髪型は、背中の中程まで伸ばした髪をひとつにまとめ、後に高くはね上げます。今風に言えば、ポニーテールということになるのでしょけれど、これは(その予定は全然ないのですが)、 介錯の邪魔にならないようにするためですし、切腹の最中に身体の前にかかって、所作の妨げにならないようにするためもあります。

 お化粧も、あくまでも和風に。でも、裸になったとき、顔だけが白く見えるようでは困ります。

六。切腹の手習い

 切腹の手習いは、日々行うべきものと思います。

 それは、いよいよ本当に切腹するときにわたしを襲うであろう気の遠くなるような苦しみの最中にあっても、身体が独りでに切腹の所作を続けられるようにするための修練であり、また、 それによって、切腹へのおのれの決意を確かめるための儀式でもあるからです。

 できればこの手習いの段階で、お腹への刺激だけでも絶頂に達することができるように、自らの性感を研ぎ澄ませておきたいものです。

 本番に近いような舞台、お化粧、心構えのそれは、毎週というわけには行きません。でも、少なくとも半年に一度、そのような機会をもうけることは、必要であるように思えます。 でも、手習いの度に本当の日本刀を用いると、知らず知らずにお腹に傷を増やすことにもなりますので、普段はお芝居用の模造刀などで済まされるべきでしょう。

 また、少なくとも、最後の手習いは切腹の一月前までに終えておかねばなりません。つまり、最後の一ヶ月は、厳しく禁欲をまもらなければならない、ということです。

その禁欲により、切腹への衝動を極限以上にまで昂めるためですし、そして、思わぬ昂りによって絶頂を極めてしまい、その衝動を減ずることが絶対にないように、ということなのです。

 ちなみに、この上の写真は、わたしが23歳の時、激情を抑えきれずに、思わず、血飛沫が跳ぶような手習いをしてしまった、その跡です。 (註:削除しました)

七。お腹の切り方の研究

 切腹するにあたり、どのような形の腹の切り方にするか───これは、やはり、切腹を志す人にとっては、最大の関心事ではないでしょうか。

 よく知られた方法には、一文字腹、正十文字腹、鍵十文字腹などがあり、どのような型を選ぶのかは、切腹なさる方の好みで選ばれて宜しいのでは、と思います。

 でも、映画やテレビで描かれる切腹のように、上腹部を横に引き回すことは、あまり行われていなかったようですし、そのような行為は、ただ恐ろしいだけで、まったく性的な魅力を感じる ことができません。 生理的に切腹を好まれる人ならば、必ずその下腹を───臍下二寸くらいの高さを───まずは一文字に引き回されるはずと思います。それは、人がお腹を切る姿勢を取ったとき、 一番腕に力の入りやすい位置であり、上腹部よりも痛みが少ないためであり、そしてなによりも、お臍の下のお腹こそが、わたしたちの最大の性感帯であるからなので す。

 わたしなら───わたしならば、臍下二寸位の下腹を、そのなだらかな膨らみを横断するような形で、まず一文字に。深さはやはり、少なくとも二寸は……と思っています。

 その後で、小腸などが溢れないように、右手で(わたしは左利きなので)しっかりと傷口を抑えながら、少し仰け反るような姿勢をとり、 臍窩の奥まで短刀の切っ先を探り入れて、右手を傷から離しざまに、両手でしっかりと刀を握り、少し上向きに、深々とお腹の中心を貫きたい、と思っています。

 わたしが願うのは、お臍を貫いたその瞬間に、絶頂に駈け上がれたら、ということです。そのときは、きっと、仰け反っていること、そして、刀を突き入れる圧力が加わるでしょうから、 自ずと一文字の切口から、腸がたくさん溢れ出てくるに違いありません。お臍というわたしの一番の性感への刺激、そして、下腹の切口から溢れ出る内臓の感触で、絶頂が得られて欲し い、と願っているのです。

 念願どおり、その時点で絶頂を極めることができたなら、その激情の嵐の中で、わたしは、一息に、両手でしっかりと握った短刀を、グイッと思い切り、恥骨にあたるまでに押し下げて、 目の前の鏡の中に、割けて行くわたしのお腹と、一息に溢れ出てくる小腸の輝きに見とれつつ、ひときわ激しい絶頂へと、もう一度駈け上って行くことでしょう。

 そして、気を失ったわたしは、大きく開いた太腿のあいだへ、鮮血と小腸の海へと静かに突っ伏して、エクスタシーの余韻に包まれながら、死を迎えることでしょう。